日比谷線ユーザーの筆者、いつも南千住駅手前で車窓から見えるお地蔵様が気になっていました!
東京では大きなお地蔵様や仏様もそう珍しくなく、『どこかのお寺さんのお地蔵様なんだろうなぁ』と、そこまで気にしていなかったのですが、偶然そのお地蔵様の名前が「首切り地蔵」ということを知りました。
首切り地蔵…?なんて恐ろしい名前でしょうΣ(゚Д゚)
安らかそうなお顔をしているあのお地蔵様が、なぜ首切り地蔵と呼ばれているのか、より知りたくなり、途中下車して現地を訪ねてみました(^^)
首切地蔵の場所
今回ご紹介する首切り地蔵様は、荒川区の南千住駅から徒歩ですぐの距離にあります。
最寄りは日比谷線・南千住駅の南口で、改札を出たらすぐ正面に見え、重盛の人形焼の建物の左側です。
改札を背に道を左へと進むと、「延命寺」というお寺があり、その境内に首切り地蔵様は鎮座しています。
首切り地蔵とその周辺の歴史
首切り地蔵様がいらっしゃる延命寺にやってきました!
いつも北千住方面へと向かう日比谷線の電車内から眺めていたので、いざ間近で見てみると、その大きさに改めてインパクトを受けますΣ(゚Д゚)
訪れるまで知りませんでしたが、こちらは「あらかわの史跡・文化財」に選定されていて、周辺には歴史について紹介している案内板がいっぱい(☆∀☆)
安らかそうな表情を浮かべているこのお地蔵様が、なぜ「首切り地蔵」と呼ばれているのか、この地の歴史と合わせてご紹介していきます!
江戸の刑場の1つ、小塚原刑場跡地
延命寺入口前に設置されている「あらかわの史跡・文化財」の案内板をみて、ビックリ。
こちらは江戸時代、小塚原刑場という江戸のお仕置場の1つだったのです!火罪・磔・獄門、刀の試し切りや腑分け、斬罪などの刑が執行されていたとのこと。
なんとなくイメージできる刑もあれば、いまいち判らない刑もあり、簡単に調べてみました▼
獄門は罪人の生首を見せしめのために晒す刑罰で、斬罪は首を斬る刑罰とのこと… (;゚Д゚)
なんとも惨たらしい…去年引っ越してきたばかりの筆者にとっては、この衝撃はとてつもなく大きかったです!!
南千住の印象は、ララテラス南千住周辺のファミリーのまち的なイメージしかなかったので…Σ(゚Д゚)
なるほど、少し「首切り地蔵」様の謎に近づいてきました!
小塚原の首切り地蔵様
さて、いよいよ首切り地蔵様について!
こちらのお地蔵様は、寛保元年(1741年)に造立された石造りの延命地蔵菩薩とのこと。建てられた目的は、無縁供養のためといわれていて、死刑者や行き倒れた人などの為に造られたそうです。
漫画『地獄先生ぬ~べ~』好きだった筆者は、てっきりこちらのお地蔵様が「はたもんば」的なものかと勘違いしていました!本当に失礼致しました(>_<)
筆者は「首切り地蔵」という名前から、お地蔵様が罪を犯した人間に罰を与えるような言い伝えがあるのでは?と勝手に勘違いしていましたが、こちらのお地蔵様はむしろ首を斬られて亡くなった方を弔い、供養されていたのです!
一説ではありますが、昔は冤罪でそのまま処刑されてしまった方も多かったとのこと…首切り地蔵様が彷徨う魂を鎮魂されていたのですね。ありがたいお地蔵様です。
おわりに
ひょんなことから、普段乗っている電車の窓から見えるお地蔵様の名前が「首切り地蔵」と知り、実際に訪れてみた「小塚原の首切り地蔵」。
史跡や文化財にも選定されているので地元の方にとっては有名なのかもしれませんが、筆者は初めて知ることができ、大変勉強になりました!
首切り地蔵様への良からぬ誤解と、この地の歴史について少しでも知ることができ、途中下車してみてとっても良かったなぁと思えた1日でした(^^)
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